「三方よし」を経営理念とした近江商人

日本に古くからいる証人といえば、てんびん棒をかついで荷を運び、頭に笠をかぶった合羽姿を想像するのではないだろうか。これは、現在の佐賀県で江戸から明治にかけて活躍した近江商人の姿である。

「近江の千両天秤」ということわざは、 てんびん棒1本から大きな富を生んだ近江商人の働きぶりから生まれた。

近江商人たちが、商売にとってもっとも重要な「信用」を得るために大切にしていたのが、三方よしの精神である。三方とは、買い手、売り手、そして社会(世間)のことだ。

商売においては、買い手と売り手が満足する取引をすることは前提であり、その取引が社会貢献に繋がることこそ良き商売だと考えていたのである。

実際、富を築き上げた近江商人は、橋の工事費用や学校の建設費を寄付したという逸話も残っている。

ちなみに、「三方よし」という表現は、近江商人の理念を表現するために、後世によって作られたものらしい。第二次世界大戦移行、端的に理念を表すために用いた標語のようなもので、昭和より前には「三方よし」という言葉は出てきていない。

ただ、当時に明確な表現がなかったとしても、近江商人が「三方よし」の精神を経営理念として掲げ、実践していたのは間違いない。

売り手としての利益だけを追いかけず、取引相手のことも想い、ゆくゆくは社会全体のためになることをする「三方よし」の精神。現代では、企業の社会的責任として三方よしの考えを取り入れる会社も多い。

物々交換だけでは「三方よし」になれない

これがなぜ「わらしべ長者戦略」に繋がるのか疑問に思うだろうか?実のところ、わらしべ長者も最終的には「三方よし」を実現している。わらしべ長者ほどのやり手であれば、家をもっと別の物に交換することもできただろう。

わらしべ長者はwin-win or no deal(双方に得がなければ取引をしない)を守っているとはいえ、物々交換では三方よしには至らなかったはずだ。家と田を手に入れ、 豊かになってきたころに、周りにいた身分の低い人々を働かせるという描写がある。

つまり、その場に留まって雇用を生み出すという社会貢献をしているのだ。物々交換に留まるだけでは、三方よしを実現することは難しいということかもしれない。

「やさしさ」という財産を大切にしなさい。そして、それをためらいなく与え、後悔なく手放し、下心なく手にする方法を知りなさい。

ジョルジュ・サンド