わらしべ長者の成長

宇治拾遺物語を読んだことがある方には同意していただけるだろうが、この男ははっきり言って凡人ではない。わらしべを与えられてからの判断は軒並み的確である。ただし、それは天賦の才ではなく、後から取得したものであるようにも見える。

交渉術を実践で磨く

まず、男はわらしべにアブを括りつけて、それで遊びながら歩いていた。子どもの頼みでわらしべを譲ることになるが、この時の彼は受け身だ。

しかし、わらしべがみかんに代わったという実感を得たとたんに、そういう仕組みであることをなんとなく察する。

仮説を証明してから提案する

偉い人がお忍びで旅をしているのに出くわすと、遠目から観察して「喉が渇いて困っているんだ」と理解したうえで近づいていく。

興味本位で近づき、プランもないまま相手の目に留まるようなヘマは犯さない。

右往左往している従者から「水の場所を知りませんか」と聞かれても、「この辺りにはありませんが、どうしましたか」としらばっくれて、相手に状況説明をさせる。つまり、自分の仮説が正しいかどうかを相手を使って確認するのだ。

普通のお人好しなら、「水はないか」「これをどうぞ」と文脈もなくみかんを差し出してしまうだろう。たぶんそうしても布はもらえただろうが、男はそうしなかった。まったく焦らず、自分から不必要な発言をしなかった。

相手にとって得な条件を提示する

馬をもらうときには、みかんの教訓を活かしたのか、交渉の腕に磨きがかかる。

立派な馬が死んで、持ち主が駄馬に乗り替え、死んだ馬の処理を下人に任せて先に行ってしまうところを目撃する。普通は、それだけで状況を合点した気持ちになってしまうものだ。しかし、この男はそうではない。

まず下人に、「これはどんな馬なのですか」と尋ねる。そして、相手から「いくら積まれても譲らなかった名馬だが死んでしまった」「皮を剥ごうと思ったが、旅の途中なのでどうしようもない」という言葉を引き出す。

その言葉を聞いたうえで、「私はこのあたりに住んでいるから、皮を剥いで使いたい。譲ってくれ」という。もちろん、馬を手に入れるためにでっち上げたウソの動機だ。

男は相手から名馬であるという言質を取ったうえで、死んだ馬がよみがえるかもしれないという勝算もあった。

相手にとっては、死んだ馬の処理もできるうえに布が手に入るという破格の条件だった。取引はすんなりまとまった。

みかんのときには、求められたものをただ差し出すだけだった。しかし、馬の時には相手の困りごとを念入りに聞き出したうえで、相手が納得できるような条件でありながら自分に利益のある交渉をするまでに至っている。

畑の半分は自分の手で耕す

馬は家と田に代わり、田や食料の管理を他人に任せられるようにまで成長する。

ここで、普通なら他人に管理を一任してのんびり暮らそうと思うだろうが、男は田の半分を自分の手で耕すことを選ぶ。本人が耕した田のほうがよりたくさんの米が取れたという結末から、この物語では、成功に胡坐をかかず自分自身の手を動かすことを好意的に考えていることが分かる。

行動を起こすたびに教訓を得て、次のアクションに活かす。たとえ人に仕事を任せられる状況になっても、自分の手を動かすことは辞めない。

この「学びを逃さない姿勢」「自分の手を動かす姿勢」こそ、わらしべ長者戦略を後押しする思想といえる。