わらしべ長者は生きる理由を探していた
わらしべ長者の物語には、成功者になるための示唆がたくさん含まれている。その中でも、際立って目立つ教訓というのが1つある。それは、「人のためになる対応をし続けたこと」だ。
童話では、彼は貧乏から何とかして逃れようとして観音さまにお願いに行ったことになっている。この導入にはいくつかパターンがあるが、宇治拾遺物語では、もう少し重い悩みが彼を支配していた。貧乏にあえいでいるのは変わらず、お堂に駆け込んできた男はこう言った。
「このまま生きていくしかないなら、仏様の前で死のう。もし、まだ生きる理由が残っているなら、その夢を見るまではここを動かない」。
ちなみに、鎌倉時代にとって睡眠中に見る「夢」は重要なお告げであり、やがて現実になるものと見なされていた。
望むものが見つかったかは分からない
男は、最初から成功者になりたいとは望まなかった。ただ生きることに絶望していて、生きる理由が欲しかっただけなのだ。
男はわら1本を観音さまからもらい、自分には生きる理由があるのかもしれないと希望を持ち、人々を喜ばせてのし上がった。
長者と言われるほどお金があれば、生きるのは容易だ。子孫繁栄も実現した。傍から見たらこれ以上ないほどの成功者だろう。
しかし、お金を手にして男の心が満たされたかどうかまでは明かされていない。男にとって生きる理由がなんだったのか、それが見つかったかどうかは、最後まで明かされないのだ。
成功は結果、結果は手段
成功することを夢として掲げる人は多い。たくさんの財産が欲しい、地位や名誉が欲しいといって、はじめからそれを目指すという方法もあるだろう。
目的に向かって邁進することも大切だが、わらしべ長者を見る限り、成功というのは「行動によって得られた結果」以上の何物でもない。そして、成功によって手にした成果は、男にとっては、他の人の役に立つための手段でしかなかった。
男は目の前で困っている人を見つけて、自分が助けになれると分かった時に、ためらうことなく手を貸した。みかんや反物など、成功によって成した財をやみくもに捨てるのではなく、次に困っている人を救う手段として用いた。
純粋に目の前の人を助けたいという捨て身の善意でもない。成功したいという思いが先行した打算的な目論見だけでもない。それらのバランスをうまく取って、対等な立場で交渉を持ちかけたのだ。だからこそ、自分にとっても相手にとっても利のある物々交換ができたし、成功が成功を呼んで大長者になることもできたといえよう。
成功者になろうとするのではなく、価値のある人間になりなさい。
アルベルト・アインシュタイン