大元は「宇治拾遺物語」

わらしべ長者は、鎌倉時代につくられた説話物語集「宇治拾遺物語」に掲載されている。昔話のほうでは、男は心優しい人間として書かれているが、宇治拾遺物語のほうでは、生きる気力を失ってお堂に駆け込んでいるものの、道筋を観音さまに示されると、忍耐強く冷静な判断力を持った男として描かれるのが面白い。

わらしべ長者のしたたかさ

わらしべ長者の話も、ところどころで忍耐力や決断力の非凡さに舌を巻く。

例えば、お堂でお祈りが通じたのも、たった1晩の出来事ではない。なんと21日もお堂で突っ伏したまま動かずに粘り続けた後の出来事だ。

女にみかんを快く差し出した後には、「次は何になるんだろう?」と冷静に待つ姿勢を見せている。

最初にわらを掴んだときもそうだが、結果に対して落胆こそしても、結果に対する信頼を失うことがないのだ。これは、当時の仏教的な価値観が強い故の「仏の教えを信じ続けよ」という教えなのかもしれない。

だが、成功においても信じつづけることが重要であることには変わりない。どのような結果であれ、自分の頭で考えて選んだ末の結果なのであれば、次のステップだと信じつづけることこそが成功への近道なのかもしれない。

昔話では、馬と絹布は無理やり交換させられている描写だったが、宇治拾遺物語では自ら交換を申し出ている。死んだ馬と絹布1枚という対価の釣り合わない取引を持ちかけるが、それ故に馬の持ち主はさっさと立ち去ってしまうし、残り2枚の絹布も巻き上げられずに済んでいる。

残りの布で鞍と轡を揃えてやるので、馬に愛着が湧いていそうなものだが、男は「盗んだと思われてはつまらない。どうにか売れないものかな」とリスクを分析して次のアクションを考えている。ずいぶんしたたかな男である。

自分の人生に責任を持てるのは幸運なこと

こんなに能力のある男がくすぶっていた理由は、実は本人のせいではない。「前世の報いを知らないで愚痴を言うのは変だが、かわいそうだから…」と観音さまはいう。天涯孤独の貧乏人になっているのは、前世の行ない故だという。

自分のあずかり知らない前世の生き方で自分の命運が決まってしまう昔話の世界のほうが、よっぽど救いがない。我々はアインシュタインがいうように、神がサイコロを振らない科学の世界にいるのだから、よっぽど恵まれている。そういう考え方もできるのではないだろうか?

忍耐と、努力と、結果への信頼が、すばらしい配当をあなたにもたらします。

ジョセフ・マーフィー